復興
2014年11月01日
2013年11月01日
震災復興は現地の偉人から!
宮城県石巻市荻浜で、偶然なのですが、「世界の牡蠣王」と呼ばれた宮城新昌氏の新たな顕彰碑が建てられていました。
●新・宮城新昌顕彰碑(中央はカキのデザイン)
宮城新昌氏は、なんでも当地・荻浜港で牡蠣の養殖技術を著しく発展させて、世界の食用カキのほとんどが石巻ルーツと言わしめるほどにまでなったとのこと。
●破損した旧顕彰碑(1979年建立)
彼はもともと沖縄出身で、料理記者の岸朝子さんは彼の次女なんだそうです。先の震災で破損した旧顕彰碑に変わり建立された新顕彰碑の立派さには目を見張るほどでした。
●近くのある石川啄木の歌碑
まだまだ震災の傷跡の残る石巻ではありますが、無一文から「世界の牡蠣王」になった偉人の精神で復興を成し遂げられることを祈念いたします。
余談ですが、この顕彰碑のすぐ近くに石川啄木の歌碑があります。併せてどうぞ!
<お知らせ>
中国での生活経験をもとにした中国・大連の情報ブログも公開・更新中(たまに)!こちらもぜひご愛読ください。
↓クリックをお願いいたします。
●新・宮城新昌顕彰碑(中央はカキのデザイン)
宮城新昌氏は、なんでも当地・荻浜港で牡蠣の養殖技術を著しく発展させて、世界の食用カキのほとんどが石巻ルーツと言わしめるほどにまでなったとのこと。
●破損した旧顕彰碑(1979年建立)
彼はもともと沖縄出身で、料理記者の岸朝子さんは彼の次女なんだそうです。先の震災で破損した旧顕彰碑に変わり建立された新顕彰碑の立派さには目を見張るほどでした。
●近くのある石川啄木の歌碑
まだまだ震災の傷跡の残る石巻ではありますが、無一文から「世界の牡蠣王」になった偉人の精神で復興を成し遂げられることを祈念いたします。
余談ですが、この顕彰碑のすぐ近くに石川啄木の歌碑があります。併せてどうぞ!
<お知らせ>
中国での生活経験をもとにした中国・大連の情報ブログも公開・更新中(たまに)!こちらもぜひご愛読ください。
↓クリックをお願いいたします。
2013年03月11日
原発再稼働の地から被災地へ ~福井・東日本大震災追悼会
今日で東日本大震災から2年。被災地の一つである私の故郷・茨城で追悼を行いたいところですが、それ以外なら、やはり原発が唯一再稼働された福井しかないと思い、福井県内で行われた追悼行事に参加させていただきました。
●会場の金剛院(福井県越前市)
今回実施された「東日本大震災三回忌追悼会」は、″TERRAねっと福井”という県内の各宗派の僧侶によるグループで、今回の企画も曹洞宗(会場の金剛院は曹洞宗寺院)、真宗大谷派に立正佼成会等と超党派により実施されました。また導師は、宮城県出身で、元曹洞宗管長の板橋興宗・禅師が務められました。
●追悼会の導師、板橋興宗師(元曹洞宗管長)
富山にも被災地から避難されてきた方が多くいますが、ここ福井にも相当いらっしゃるようでした。当日は地元の方々を中心に本堂にあふれんばかりの方が来られていました。もう少し大きな会場でもよかったと思うのですが....。
●追悼会の様子(1)
私にとって、2年前の震災は何か喪失感を感じるものでした。私の故郷茨城も被災したわけですが、当時私は中国におり、震災はネットやメール等を通じて知りえたものであり、実体験ではまったくありませんでした。そのため、日本が全国的に震災を通じて「絆」と叫んでいる様子をみて、何か自分は疎外感さえ感じることもありました。そんな日本人としての喪失感でした。
●追悼会の様子(2)
祈ってばかりいて何になる、被災地復興のためで何らかの活動をすべき、との声もあるでしょう。震災がれきや被災者受け入れ等々、震災により派生した問題は被災地だけではないと思います。私は、縁あって今いる、この北陸で何らかの活動をしていきたいと思っています。
最後に、震災により犠牲になられた方への追悼、そして被災地の一日も早い復興を祈念しつつ、合掌。
<お知らせ>
中国での生活経験をもとにした中国・大連の情報ブログも公開・更新中!こちらもぜひご愛読ください。
↓クリックをお願いいたします。
●会場の金剛院(福井県越前市)
今回実施された「東日本大震災三回忌追悼会」は、″TERRAねっと福井”という県内の各宗派の僧侶によるグループで、今回の企画も曹洞宗(会場の金剛院は曹洞宗寺院)、真宗大谷派に立正佼成会等と超党派により実施されました。また導師は、宮城県出身で、元曹洞宗管長の板橋興宗・禅師が務められました。
●追悼会の導師、板橋興宗師(元曹洞宗管長)
富山にも被災地から避難されてきた方が多くいますが、ここ福井にも相当いらっしゃるようでした。当日は地元の方々を中心に本堂にあふれんばかりの方が来られていました。もう少し大きな会場でもよかったと思うのですが....。
●追悼会の様子(1)
私にとって、2年前の震災は何か喪失感を感じるものでした。私の故郷茨城も被災したわけですが、当時私は中国におり、震災はネットやメール等を通じて知りえたものであり、実体験ではまったくありませんでした。そのため、日本が全国的に震災を通じて「絆」と叫んでいる様子をみて、何か自分は疎外感さえ感じることもありました。そんな日本人としての喪失感でした。
●追悼会の様子(2)
祈ってばかりいて何になる、被災地復興のためで何らかの活動をすべき、との声もあるでしょう。震災がれきや被災者受け入れ等々、震災により派生した問題は被災地だけではないと思います。私は、縁あって今いる、この北陸で何らかの活動をしていきたいと思っています。
最後に、震災により犠牲になられた方への追悼、そして被災地の一日も早い復興を祈念しつつ、合掌。
<お知らせ>
中国での生活経験をもとにした中国・大連の情報ブログも公開・更新中!こちらもぜひご愛読ください。
↓クリックをお願いいたします。